久しぶりに
「世界の街角から」コラムをお届けします。
2011年秋、Paris。
今回の旅路は、少し特別にプランを立てていました。
旅の始まりはエディット・ピアフの足跡を訪ね、
そして
旅の終わりはヴィンセント・ヴァン・ゴッホ終焉の地へ...。
エディット・ピアフ(1915−1963)を知ったのは学生の頃。
当時、東京造形大学内の画材屋さんでアルバイトをしていました。
そこで同じくアルバイトをしていた年下の女の子が持参し
店内でいつも流していたのがシャンソンのCDでした。
シャンソンとの初めての出会い。
それから夢中でシャンソンを聴いていたあの頃...想い出します。
ピアフの歌声は誰とも異なる個性を放ち、
軽やかさや透明感とは真逆のところへベクトルが向かっているような感覚。
深く、時に重々しく
20代初めの私にとってはまさに衝撃的でした。
一度、聴いたら忘れることのできないピアフの歌声。
誰よりも強くストレートでいて、どこか切なく哀しい。
以来、ピアフの歌は私のFavorite。
その後、フランスリボンと巡り会い仕事とし、
Parisやフランスと再び出会うことになろうとは
あの頃の私は全く考えてもいませんでしたから人生とは本当に不思議なものです。
私にとってフランス文化との出会いは、ピアフが始りだったとも言えます。
ピアフ20代初めの頃に住んでいたというアパートの部屋が
パリ東部のピアフが眠るペール・ラシェーズ墓地の近くに今も残っていることを数年前に知りました。
想いが膨らみます。
そして、2011年秋Paris。
地図を片手に番地を辿り
華やかなパリの中心地とは異なる
小さな路地へ。
階段を昇り、
扉を開くと小さなお部屋で館長さんの男性が一人、迎え入れてくれます。
お部屋にはピアフ愛用の品々。
150cmにも満たない華奢で小柄だったピアフ。
使い古された小さなヒール靴や黒色のビロードドレスetc
そして
ピアフ自身が「生涯、最も愛した男性」と語っている
ミドル級世界チャンピョンだった恋人マルセル・セルダンのボクシンググローブ...
突然の飛行機墜落事故により、ピアフは最愛の人セルダンを失いました。
「愛の讃歌」として有名な「Hymne a' L'amour」はセルダンへの想いを歌っています。
行き場のない
叫びにも似た強い想いが込められているからこそ
ピアフの歌声は
どんなに時を経ても永遠に
聴く人の心を強く打つのでしょう・・・。
47歳の短すぎる生涯、
歌とともに生きた一人のシャントゥーズ。
レッスンのお申込み、お問合せはメールでご連絡下さい info@latelier-du-ruban.com
ラテリエ デュ ルバンのトップページへ
ラテリエ デュ ルバンのオンラインショップへ
にほんブログ村
![diary[ダイアリー]](http://www.latelier-du-ruban.com/images/diary/title.jpg)

